バブル後の後退について考える

バブル後日本経済は失速しましたが、その原因の一つは米国を真似た経営手法が影響していると考えています。
その一つがカンパニー制です。
カンパニー制は経営決定を早くするということで導入されました。ほぼ同じ頃導入された人事評価制度などと相まって、多くの組織で採用されました。
この小さく整えて厳密に人事考課していくという手法は、やがて日本の集団成長型の方向性との間に葛藤が生じていきました。
<Photo Data>
2018/08/14
白川郷合掌造りの屋根部屋
旅の途中で
降雪影響を軽減するための屋根構造、屋根部屋は風通しが良く、作業や養蚕、農機具や食品の保管など多用途に使用されてきたと思われる。

Canon EOS−1DX EF24-105mm 1/80 f4

日本ではバブル前よりできあがっていたプロダクト方法は見直されず、顧客側にワンウエイで向かう商品作りはそのまま続いていきました。
やがて200年を超える頃になると、経営はだんだん行き詰まり、売上収益面に陰りが見え始めてきました。準備不足で事業構築がままならず、頻繁に事業再編やM&Aが行われるようになりました。導入された人事制度、評価制度は縮小に結びつき、うまくいてないところは再編が起こり始めたのです。
この結果がどうなっていくかは想像するところです。

カンパニー制は小さな組織、小さな政府です。決定ははやくなったとは思いますが、利益の再配分には至らず、スモールカンパニーでは事業規模が縮小に作用してだんだん収益が落ちていったのです。
事業拡大は資金と人員を伴います。将来に向けて導出しなければならない重要なアイテムまでも自分のことは自分でやれという風潮となり、縮小均衡を招いてしまったのです。良いものがたくさん失われてしまいました。

一方、世界の動きは大規模成長企業の自然な台頭となり、同じドメインで動こうとした小さな政府では太刀打ちできなくなっていったと思われます。
今は世界的なGoogle、日本でもNTTの様な大規模事業会社が周囲にならってか分割が進み、近世代で到来した情報通信カテゴリーのコンペティターから遠のいていきました。
近代的と思われた諸制度は経営のガバナンスにも故障が生じます。執行役、取締役といったレイヤーに分かれただけでは、どうしても内部まで見抜けません。
利益に走る方針があれば、自ら消されないために域の頃の方を考えてしまうのは成り行きだったかもしれません。
小部屋を作って縛っては大規模な事業会社に太刀打ちできないばかりか、成長への未来生成にも配分することをしませんでした。将来への素地の段階はキャッシュフローを評価出来なかったと思われます。
優れた社長による統制で日本人の得意とする集団力を使った小数精鋭による経営の方がよっぽどうまくいったのではないでしょうか。

世代世代で突出する事業は変わります。
調子の良いもので稼いで、溜を作って次に向かうのです。そうしないならそのうち縮小に向かうのだと思います。
それと、カンパニー制は横に壁が自然に出来ていきます。作るなと言ってもそうなっていきます。カンパニー制をとるなら海外サイト等にとどめるべきかと思います。
今、もしまだ小政府や評価制度などが続いているなら、上流の経営はバランス経営になっています。評価もそこそこ自分流に手直ししているのに違いありません。そうでないならアウトです。

もっと考えねばならないのは、今は国家経営の時代だということです。
ばらまきをして自然な成長を促すやり方、、、これはきっと手遅れです。

因みに、
日経によれば国の最重要課題は、米は防衛としてのハイテクの流出防止、仏やカナダはAI。GDPでトップを目指す中国は、製造2025(世界最強製造国)で、ほぼ米+日超えを目指しています。
(次世代情報技術、ロボット、電力、中国自主ブランドの強化、半導体、OS、工作機械、航空機、先端鉄道、EVなど幅広く最強を目指しています。)

どうみても日本は不明確です。
(明確なディレクションがないのではと危惧しています)

国力の低下はやがて貧民国へ向かいます。
ミスマッチなカリキュラム、労働力の低下など新しい経営手法や戦略、年齢構成が偏った世代の活用など、見直すものがいっぱいあると思いますが、、、、。

Kazunori Fukuma
1st 2018/09/14